英語のページ(2013年度)

【第49回】第48回の解答・解説 (2014/01/24)

今回の問題に取り組んでみて、「はっきり言ってこの問題は難しくありません」という前回の言葉が本当だったことが分かったと思います。事実、私自身もはじめてこの問題に挑んだとき、あまりの読みやすさに拍子抜けしてしまいました(もっとも、本番さながらに解くのであれば20分くらいしか時間はかけられないので、読み落としや誤読が命取りになる、という意味ではあなどれないのですが)

ですが、私は初見で満点を取ることができませんでした。

自己採点の結果を突きつけられて、「なんで!?」と慌てて本文を読み直し、解説を読んでようやく出題意図を理解して、その意図を読み取れなかった自分のふがいなさに溜め息をつき、「そうか、東大英語の難しさは問題そのもののが難しいってことじゃあないんだな」と痛感したものでした。と言っても、問題自体が簡単なのではなく、正解するために必要な知識事項の多くが基本的なものだったのです。但し、それらの事項の理解が深いレベルに到達していなければ足下を掬われることになります。その意味では、やはり東大英語はあなどれません。

それでは、解答を確認してゆきましょう。

第48回の解答・解説

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【第48回】1998年(平成10年)の東京大学から (2014/01/17)

初めて第一志望の大学の入試過去問に挑んだときのことを――正確には「この大学を受験するぞ」と心に決めてから最初に挑んだ問題のことを――貴方は覚えているでしょうか。

今まではただ眺めるだけだった過去問題集を開き、分厚いページが閉じないよう抑えながら解き進めてゆく。時間が経つにつれて漠然と抱いていた難易度のイメージが具体化してゆき、「意外と何とかなるかも」という淡い期待が見事に打ち砕かれてゆく。一通り解き終えてペンを置いたとき、「そもそもこんな高い壁を越えることなんてできるのだろうか」と途方に暮れて天を仰ぐ。だが、はじめてその壁に触れたその感触は、自分はこの壁の向こうを目指して歩み始めたのだという実感を確かなものにしてくれる…。

あれから10年以上経過した今でも、そんな情景が私の記憶の中にはっきりと残っています。

もうすぐ入試本番を迎える貴方なら、その感触を鮮明に思い出せる筈です。貴方が高校1・2年生ならば、そう遠くない未来に――遅くとも3年生になるその日までに――知ることになるでしょう。

2013年度最終回となる今回は、私が最初に挑んだ問題を取り上げてみたいと思います。

出典は、1998年(平成10年)度の東京大学から。はっきり言ってこの問題は難しくありません。語彙レベルも決して高くありませんので、高校1年生でもそう苦労せずに読みこなせるでしょう(当時の各予備校の出した寸評も、大半が「平易」と片付けていました)。ですが、当時の池吉少年はこれを解いて答え合わせをして「さすがは東大だ」と唸らされてしまったものです。

設問の中に潜む「東大らしさ」を感じてもらえれば幸いです。

それでは、解説編で再びお会いしましょう。

1998年(平成10年)の東京大学から

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【第47回】第46回の解答・解説 (2013/11/08)

今回の問題を解いた時、数分で即座に解けた人とウッと詰まってそれきりだった人に二極化したのではないかと思います(勿論そういう問題を敢えて選んでいるのですが…)。その差は一体何なのでしょうか。知識量の差ならもはやどうしようもないですが、本問に限って言えばマニアックな知識は必要ありません。むしろ東京大学はそのような知識偏重な学習態度を嫌っているところがあります。そしてその姿勢は今日に至るまで一貫して変わっていません。大切なのは、冷静に問題の本質を見極めて自分のもっている知識を適切に運用することです。そこを勘違いしてしまうと、必要な知識は揃っていて運用方法が間違っているだけなのに、更に知識を積み上げようとするという間違った対策に走ってしまうことになります。

今回出題した問題も、知識量よりも知識の運用が正答への鍵を握るものでした。

第46回の解答・解説

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【第46回】1992年(平成4年)の東京大学から (2013/11/01)

この季節は、センター試験直後の次くらいに生徒の涙を見るように感じます(ひとりひとりカウントするほど無粋ではないので、正確なところは分かりかねますが…)。センター試験まで残すところ100日を切り、残された時間に比してやるべきことがあまりに多く残っていることに愕然とし、焦りがやる気を蝕んでゆく。教師に相談しても、「前を向いて頑張ろう」という励ましの言葉は上滑りし、「このままでは志望校を変えないと…」という檄は真意とは裏腹に諦念をかき立ててしまう。私が受験生だった時も、受験生を指導する立場になった今も、この季節は言いようのない不安に苛まれます。

よく、こんな質問をされます。

「残り時間で、一体何をやれば良いでしょうか?」

やるべきことは分かっている、でも、全てはできないから達成可能な量に絞ってほしい。

その気持ちは分からなくはないのですが、そもそもやらなくて良いことまでやれと言う教師などいる筈がないのですから、やるべきことの中に削れる項目などひとつもありません。酷な言い方になりますが、その生徒は、(相談相手の教師にとっての)やるべきことをやれずに入試本番を迎えるのです(勿論、その教師が提示したやるべきことが適正かどうかは検討すべきですが)。

ひとつ救いを述べるとするならば、このような相談をしてくる生徒の多くは、自分の成し遂げてきたことを過小評価する傾向があるということです。結果が出ていないのだから今までやってきたことは全て無駄だ…そんな風に考えて、自分のやってきたことを全否定する生徒が少なからずいます。自分に対して厳しく臨むのはその逆より素敵だと私は思いますが、何事も行き過ぎは禁物です。ある試験で遭遇したある形式の問題が解けなかったから、自分はその形式の問題は全て苦手だ…この思考っておかしいと思いませんか。解けなかった原因を分析し、習得すべき事項を確認し、次に似た問題に遭遇したときは自信を持って臨めるようにするのが、王道とまでは行かなくともごく標準的な筋道だと思います。そして今回は、そんな筋道を踏む重要性に気付けるような問題を提供したいと思います。

出典は、1992年(平成4年)の東京大学から。当時は第1問(B)として出題されていましたが、現在とは随分形式が変わっています。が、東京大学が受験生に求める能力が変わったわけではありません。この問題にも、現在の東大英語に通じるポイントが潜んでいるのです。

それでは、解説編で再びお会いしましょう。

1992年(平成4年)の東京大学から

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